2013年3月12日火曜日

あの日から2年。

あの日から2年。
去年書いた自分のエントリ(あの日から変わったこと)を読み返してみたら、意外なほど覚えていなくて
自分なんだけど他人のような気持ちで、へえー、と読んでしまいました。

2013年の3月11日がもうすぐ終わります。
会社の帰りに人身事故で電車が止まってしまったので、ぽっかり時間ができて
普段放置しているブログを改めてみる時間ができたのは
偶然ではないのかもしれません。
(こんな日の、人身事故ということもまたしかり)

去年のエントリを読み返して、
去年と違うな、と思ったことが2つありました。

1つめ。
去年の私は、
「あんなことが起きたときに役立つためには、何かのプロでなくてはいけない、
だから成長しなくてはいけない」
と書いていました。
成長しなくては!という思いが強いのは今も変わらずだけれど、
一つ変わったのは、
必ずしもプロでなくてもいい、思いがあれば、小さくても行動にうつすことができれば、
それでいいと思うようになりました。

それはおそらく、この一年、仕事でなかなかの激動を経験した中で身についた
「批評家ではなく行動家であれ」という教訓に基づきます。
(新しいものを作り、見ず知らずの人に散々叩かれるという得難い経験だった…)
それ、本当に役に立つの?なんて、口にするのは簡単だけれど
実際に行動してみない限り学べないことが、世の中には山ほどあります。
それを繰り返せば、次にはきっと、もっとうまくやれるはず。
何か新しいことに挑戦するのを、恐れてはいけない。
最初の一人になることを恐れてはいけない。
リスクは必ずしも避けるものではなく、管理しつつ引き受けるものだということ。
尊敬する人たちから、たくさん学びました。
だからプロでなくても、まず行動すればいい
そして段々プロになればいい、と、いまは思います。

2つめは、
家族や命というものに、去年より一段とリアリティが生まれたところ。

昔は歩いている親子をみかけると
自分はどんな子供だったっけ?と考えていたのだけれど
大学4年くらいの頃から、もし自分の子供だったらどうしよう?という方に、考えが変わってきました。
視点が親側にうつってきて、
ああ自分も命を再生産する側にいつかなるのかな、となんとなく思っていました。
24歳になった最近では、周りに結婚する友人が増え、
妊娠する人や子供が生まれる人もでてきて
なんかすごいな、他人と一生を共にするっていう覚悟や
命を再生産できるといえことって、本当にに尊いものだなと
身近でリアルなんだけど、祈りみたいな純粋で遠い、
不思議な気持ちをたまに感じます。

「あの震災のようなことがまたあったら、私は帰るより会社で残って働く側になりたい」と去年の私は書いていました。
今でもまだそう思うけれど、ただ、
自分もいつか家族を持つのかな、と思うと
家族の元に帰るだろうな、とも思います。
それらは、望んだからといって手に入るものじゃないから、
そして震災で実感したように、世界や命は思ったよりもろいものだから、
後悔しないように、できる限り大事にしないといけないな、と思います。

去年との大きな違いはこの2つでした。
ところで、ここまで書いて愕然としたけれど、
震災の話でなく、完全に自分語りになっている…

こうなってしまうのは、私にとっての震災が薄れているのか?
そうだったら、それはとても怖いことです。
今年は被災地に行こうと、年始に決めたのにまだ実行していません。
行動にうつらないのは、切実さが薄れているからなのだろうか…?